秋田が日本全国に誇る、
大曲の花火もその一つですが、
今年もまた見送りというニュース、
開催を待ち望んだファンや地元関係者、
その落胆ぶりは、さぞかし無念でしょう…。
当たり前が当たり前でなくなった日常、
毎日学校に行けて、普通に授業ができて、
仕事もプライベートも、制限はなくて、
マスクという苦しい思いをしなくてもよくて、
好きな時に、好きな場所に行けて、
買い物や余暇も、自由にできて、
こうした日常が失われた我々は、
当たり前の尊さを、今再確認するわけです。
感染拡大防止という大義名分のために、
どれだけを犠牲にしたのでしょう。
2年連続であれこれ中止や見送り、
我慢というだけの問題ではなく、
文化や伝統の継承にもかかわってくる、
もちろん、ビジネス的な我慢も大変で、
残念ながら、閉店に追い込まれた業種業態、
もっと悲惨な状況になるのではと言われています。
どこまで耐えればいいのか。
どこまで我慢すればいいのか。
その一方で、オリンピックは本来、
我々が数々の犠牲を耐え抜いた上での、
希望やギフトであったはずなのに、
今ではこれが一番の不和の原因です。
我々の日常は、いったいいつ戻るのか、
オリンピックが、それをさらに遅くするのなら、
なんか、毎日オリンピックで不快な思い、
もう、ウンザリ気味になってきました。
スポーツの力は確かに認めますが、
それ以前の問題じゃないのか?