自分が親になったからではないですが、
子育てってのは、本当にいろいろあるんですが、
今の時代、スパルタやスポ根ってのは、
本当に見かけなくなりましたね。
昔は、鉄拳制裁やらキックやら何やら、
私は鉄アレイ投げられたことも、
真冬に裸足で出されたことも、
マジでタヒるんじゃないかって、
今では、懐かしい思い出ですが、
自分がどう育てられたのか、
これって、実は大きく影響している、
最近、特にそう思うことがある。
基本、やられた記憶ってのが、
強く印象に残るんですが、
でも十中八九、愛されていたなと。
我が家は特に、成果主義みたいな、
やることやれば、それは結果に跳ね返る、
それをモチベーションにですね、
子どもながらに、励みにしてたというか、
まあ、なかなかできる子だったので、
そんなに苦労した記憶は、ない。
じゃあ、今現在、我が子はどうか?
もちろん、ダメな時はですね、
それは大人以上の叱責とぶっ飛ばし、
そこに年齢も何も、加減はない。
しかし、今のところ期待以上の、
これまた、なかなかできる子たちで、
成果主義大好きな私としては、
特段甘やかしているつもりはないけれど、
実際、結果出すもんだからですね、
我が家では、臨時賞与なる、
イベント毎のご褒美が乱れます。
まわりから見れば、典型的な、
子どもに甘い親なんだろうけれど、
それ以上に、グランパグランマも甘い。
子育てに、これが正解ってのはない、
厳しいから良いかといえば、
それはもう、時代が違うんだなと。
生きていく力を身につけさせるのは、
これは親としての責務ですが、
ここ数年、特に思うのは、
今こそ、田舎の家庭に必要なのは、
将来面倒見てもらうため、
出世払いはまったくもって、いりません、
でも後継ぎからは、逃れられませんよ的、
今甘いのは、そういうことなのよ、
そういう教育と意識づけが大事かと、
私は強く思うのです。
後継ぎがいない家、
空き家になった家、
誰も来ない、お墓、
いやいや、あなたの人生です、
どうぞ好きに羽ばたきなさい、
今のところ、私にはその考え方はない。
甘いのは、子どもではなく親ではないか?
将来捨てられないように、頑張ります。